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射法・射技:全日本弓道連盟 正面礼射系(創始:小笠原流) 全国大会優勝回数:男子団体3、女子団体3、男子個人3、女子個人1 関西一部リーグ優勝回数(王座出場回数):男子6、女子7 関西選手権優勝回数:男子6、女子5 関西一部リーグ在位最多(男子、一部リーグを経験していない部員はゼロ。) 東西学生弓道選抜対抗試合男女出場者数(回数):40名(59回) 道場:上賀茂神社御神体 神山(立命館 柊野総合グラウンド内) 胴着の色:白(西園寺公望公筆「立命館」の刺繍) 古都京都には歴史のある大学のクラブが多く、京都大学(100年)、同志社大学(90年)とは創立当時より深い親交があり、両校との定期戦は昭和5(1930)年以来幾多の変遷をへて、現在まで続いています。とりわけ、京都大学については、京都大学の創部者と本学の創部者が同じで、初期において立命館弓道部の発展に多大なる支援を受けました。このほかにも、龍谷大学・佛教大学・大谷大学についても、創立当初の「道場開き」にゲストとして迎えており(「立命館学誌」)、京都の歴史の深さが偲ばれます。 これから、簡単に現在の弓道部の概要を紹介していきます。
建都1200有余年の京都を活動拠点とする、立命館大学体育会弓道部は、昭和3(1928)年に当時本学の学長であった田島錦治先生(範士八段)のご支援のもと、学生有志数名が集まり創部されたのがその起源であり、以来70有余年の歴史を有している公認クラブです。田島錦治先生は100周年を迎えた京都大学の弓道部の創設に深く関わられたことでも知られています。昭和5年には小笠原清道先生を迎えて、新道場の落成式が盛大におこなわれたと学誌に記録されています。 本学の流派はその起源を鎌倉時代初頭に遡る小笠原流で、その始祖となる小笠原長清は源頼朝の糾方(弓馬術礼法)師範となっています。のちの貞宗と常興は、共に後醍醐天皇に仕え、武家の定まった方式として、「修身論」と「体用論」をまとめることとなり、これが小笠原弓馬術礼法の基本となって、日置流創始以後の技術革新とともに理論体系を整備し、礼法・騎射に加え戦場の歩立の射である歩射の両方の伝統を持つ流派となりました。 弓道部の活動は公式には、昭和3年5月8日に開催された学友会会議で、カヌー、山岳、卓球、射撃各部とともに公式部として認められたことより始まります。当初の名称は学友会弓術部でした。同年9月1日には学友会組織の改革により体育会が設立、体育会設立当初よりの構成メンバーとなります。活動の本拠となる弓道場は、昭和4年12月末日に広小路校地内に建設され、翌5年5月11日には、田島錦治学長(体育会会長、大日本武徳会弓道範士)、跡部定次郎部長(大日本武徳会弓道範士)、小笠原清道名誉師範(小笠原流範士)、北垣守師範(本学教授)ら小笠原流大家の列席を得て、本学部員・他大学代表部員他150名余りの参加者をもって、荘厳な矢場開きが行われたとあります(「立命館学誌」)。 当時の日本屈指の指導者を得て、活動が本格的に開始されることとなり、同年には京都・関西学生弓道連盟に加盟、連盟戦にて健闘するほか、関西連合競射会、全日本学生弓道連盟戦への参加をはたしました。昭和6年10月には、明治神宮で開催される全日本学生弓道連盟戦への参加にあわせ、「東都遠征」と称し、法政・早稲田・慶応・明治大学と、合計10日間連日で試合をこなしたことが報じられています。 昭和7年3月には、永井・長山・前田・三原の4氏が卒業し、ここに弓道部はじめてのOBが誕生しました。永井は同年4月、他の18人とともに体育会史上はじめての功労者として、「立命館学誌」上で表彰を受け、前田は昭和17年の学徒出陣による解散式まで、三原は戦後活動が再開された昭和25年から平成元年までの間、弓道部の師範・監督を務めることとなります。 昭和17年に部が解散し、終戦後もGHQの指示を受けて文部省体育局長より日本武道禁止命令 が出され活動の一時停止をやむなくされた時期がありましたが、昭和25年に、野崎・山内・平松・松田の有志が他武道系クラブとともに部活動を再開、昭和27年には京都大学、同志社、関西学院、府立医科大とともに現在の関西学生弓道連盟リーグ戦のもととなる関西学生弓道対抗戦を開始しました。東西呼応して組織化された学生弓道は、翌28年に全国学生弓道選手権大会を開催、これに本学も参加、健闘しています。昭和30年には、第3回同大会でクラブ史上初となる全国制覇を成し遂げました(北村・松前・石嶋・横内・吉村、監督三原)。 昭和42年、上賀茂神山の地に昭和17年より失われていた弓道場が建設されます。自前の活動拠点を得てからの活躍はめざましいものがあり、昭和55年春には全国弓道大会を制し(伊藤・宮迫・浜田・緒賀・村本)、二度目の全国制覇を成し遂げるに至ります。この間関西学生一部リーグでも四連覇を達成するなどの特筆すべき活躍がみられました。 昭和57年の弓道場の柊野への移転以後も、昭和59年の関西選手権男女団体アベック優勝や昭和63年全国弓道大会での女子団体優勝(内海・原田・橋本)、平成3年の全国大学選抜大会での女子団体準優勝(池谷・坂本・赤堀)、平成8年の同大会女子団体ベスト4進出、さらには平成12年の同大会女子団体3位入賞、夏の全国学生弓道選手権での女子団体準優勝(鈴木・林・大和、現役学生)など最近では女子を中心として、全国レベルでも大健闘しています。
戦後の主な戦績(団体のみ)は以下のとおりです。 昭和30年全国学生弓道選手権 男子団体優勝 昭和33年全国学生弓道選手権 男子団体ベスト4 昭和47年全日本学生選手権 男子団体3位 昭和53年関西学生弓道選手権 男子団体優勝
昭和54年関西学生弓道選手権 男子団体優勝 昭和55年全国弓道大会 男子団体優勝
昭和58年関西学生弓道選手権 男子団体優勝
昭和59年関西学生弓道選手権 男女アベック優勝 昭和60年全国弓道大会 女子団体3位
昭和63年全国弓道大会 女子団体優勝 平成 2年関西学生弓道選手権 男子団体優勝 平成 3年全国大学弓道選抜 女子団体準優勝
平成 8年全国大学弓道選抜 女子団体ベスト4
平成10年関西学生弓道リーグ 女子団体優勝 平成12年 平成15年 全国大会優勝者・準優勝者(個人、判明分)
東西学生弓道選抜対抗試合出場者(判明分)
立命館大学体育会弓道部の目標は、大学として、個人として、学生弓道における高いステータスを獲得することにあります。もちろんその過程での、クラブ活動への参加のあり方の追求、調和のとれた人間性の獲得、立命館大学生としての教養と品性の獲得、人間力の育成、進路・就職の保障等々を一番重視します。 戦前・戦後を通じ日本の民法学の権威であられた立命館大学の名誉総長末川博先生は、以下のような言葉を記されました。「未来を信じ、未来に生きる。そこに青年の生命がある。その貴い未来と生命を、諸君は自ら汚してはならず、他から奪われてもならない。理想は高く、姿勢は低く、学習を終生の業として一歩ずつ前へ前へ進もう」この言葉を胸に刻み、チームワークを大切にして、一つ一つ努力を積み重ねていきたいと考えています。1967(昭和42)年には、末川先生筆による扁額をいただき、これは現在も道場師範席正面に掲出されています。
また、第3代の師範・監督であった三原平一郎先生(創部者)は、若くして範士九段の称号段位を得られ、小笠原宗家との親交も深く、故に宗家より、大八島を司るといわれる重藤弓と蟇目神頭矢を拝受しました。この弓と矢は今も大切に保管され、「月刊弓道」誌の1992(平成4)年12月号にはこの宗家直伝の弓とともに立命館弓道部の紹介記事が掲載されました。 さて、現在は立命館大学柊野グラウンドを拠点として、男女ともシーズン中は毎日午後4時から3時間程度の正規練習をおこなっております。当部は、大学における大衆スポーツの普及・促進という体育会の基本政策にのっとり、初心者にとっても馴染みやすい運営をめざしています。
また、BKCにおいても、道場はありませんが、可能な範囲での練習をおこなっており、誰でも無理なく参加できるクラブの実現を目標として努力しています。あなたも立命館で、日本最古の武道、弓道をはじめませんか?今も昔も、初心者が中心のクラブです。お気軽にお越しください。三十三間堂もあなたを待っています!
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